2024年6月9日日曜日

綾瀬ウォーク(パート1)と【長寿会員お祝いの会】(C1)

 

実施日 令和6年6月3日(月) 

天 候 曇       参加者 ウオーク13名&祝う会17名

 

 コース(C1:参加者13名)

かしわ台駅・・小園公園・・(渡辺崋山ゆかりの道)・・古東海道・・子之社・・寺子屋師匠の墓・・地蔵堂・・お銀さまの墓・・早園地区センター・・虚空蔵橋・・第六天神社・・笠間家のギンモクセイ・・小園橋・・相模国分寺跡・・大ケヤキ・・【お祝い会場(百菜)】

 

 かしわ台9時、小園公園9時20分集合し、地元綾瀬小園・早川地区のマイナーな史跡を探訪する第一部と米寿会員のお祝い会を第二部として実施しました。

江戸後期の儒学者で政治家・画家でもあった三河・田原藩士渡辺崋山が浦賀海防視察の折に、藩主(お銀さまの子・四男)の命を受け、お銀さま(同藩上屋敷へ奉公に出て藩主の寵愛を受け四男を生んだが、母の病気で実家に戻る)を訪ねた際の道をあるき、宅造で消えつつある古東海道、氏神様子之社では社殿内の市指定文化財の絵馬を拝見。地蔵堂は寺子屋として江戸時代の識字率向上に、近くに師匠のお墓が・・御堂内で写経に励んでいる方々がいました。

お銀さまの墓は「白反元開外全修大姉」文久2年(1862)没79歳当時としては大往生だったのでは。虚空蔵橋から目久尻川右岸を遡り、お銀さまの生家があった付近を歩く。第六天神社は小さな社だが夫婦神。笠間家のギンモクセイは樹齢130年、県名木100選指定、秋の開花時に再訪したいものです。河童伝説の小園橋を経由し、相模国分寺史跡は1300年前の往時をしのぶ七重の塔の礎石が残るだけ。海老名の大ケヤキは船着き場の舫杭が根付いたもの、千年以上この地の歴史を見ている長寿のケヤキ、我が会も同様に長寿会員が・・!

 

第二部 長寿(米寿)会員(2名)お祝い会(参加者:17名)

会場はその名も「百菜(ひゃくさい)」。長寿にあやかりました。

司会の阿さんの裁き鮮やかに主賓の挨拶に。大さんは初代会長、この会をつくり育てた方。一言ひとことに思い入れが・・。伊さんは鉄人?今でも現役で登っている。先月は矢倉岳で足慣らしと・・100名山踏破を思い出したか。

飲んで、食って、しゃべっての2時間半はアッという間、参加者の皆さん会費相当分はご堪能頂けたでしょうか。次は傘寿も企画していいかな・・。おめでとうございました!

小園公園で本日のコース説明

ガイドブック片手に

古東海道の面影が残る

横井戸を覗く

古東海道の説明板

氏神様子之社にて

師匠のお墓説明板

寺子屋跡、写経中でした

お銀様のお墓の説明です

葵が咲いていた、夏だぁ〜

第六天神社

笠間家のギンモクセイ

河童が戯れていましたー

国分寺史跡にて

米寿を祝う山行にふさわしい千年のケヤキです

米寿を祝いまして

米寿を迎えたお二人と


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