実施日 令和7年10月28日(火)
天 候 晴
参加者 7名(女性3,男性4) コース(C1)
走水水源地公園・・破崎緑地展望台・・旗山崎公園
(走水低砲台跡)・・走水神社・・(横須賀美術館)
・・観音崎灯台・・観音崎公園(海の見晴台(砲台跡)
・戦没船員の碑)・・ゴジラ上陸の地・ゴジラの足跡(多々良浜)
・・鴨居港・・東叶神社・・渡船(市道2073号線)・・浦賀駅
(記録)
幕末から明治期、我が国の近代化のさきがけであった横須賀、
東京湾の入口観音崎を歩きました。久しぶりの太陽光を受け、
今日のスタート馬頭観音堂を訪ねるが、「この坂の上です」が、
勘違いし寺脇の山道を登るも現れず、通行止めで引き返す。
聞くと車道の坂、直ぐ上にありました。
走水の湧水を送る導水管を通した隧道を抜けると東京湾が
目の前に現れ、横須賀港を始め猿島、
人工島の第一・第二海堡の遺構、
ベイブリッジ、富津岬、多くの釣り船、A氏曰く太刀魚釣りだと。
海沿いに走水水源地公園、湧き水が飲める。
国道16号に出てほどなく、
ダイヤモンド富士が観察できる破崎展望台、旗山崎公園は、
当時のままの遺構が残る低砲台跡で土日は一般公開されている。
ここで集合写真。走水神社までは集落内にあり、
大和武尊・后弟橘姫命が祭神。海上安全神様。
景色に見とれ時間を要し先を急ぐ。
美術館前の海岸ウォークデッキ早昼食。「山では熊、海ではトンビ」
に要注意。食事を摂り始めると上空にトンビが輪を描き、
手元の食事を狙っている。注意していたのに手元のパンを・・
その技見事といわざるを得ない。
観音崎園地には行基が修行した海蝕洞窟が。灯台までは登り坂、
明治2年我が国初の洋式灯台。上がるとアクアライン、
スカイツリー、筑波山までも見渡せた。集合写真を上下から二枚。
灯台脇の切通しは綺麗な層を成す地層が観察できる。
暫く坂道を歩き展望園地へ。
幕末・明治とこの台地には多くの砲台跡が残るが、
砲台の中には樹齢数十年の大木も・・歴史を感じる。
展望園地からは千葉鋸山、海鹿島、この時間帯は出船が多く
普段見ない船型が見られる。
6万人もの犠牲者を慰霊する戦没船員の碑を見てゴジラの
足跡目指し多々良浜まで下る。
足跡と一緒に集合写真。暫し休憩後、
鴨居港から東叶神社へ歩を進める。
14時15分神社着、
頼朝旗揚げの際に伊豆より移植したソテツが八百年の時を経て
階段両脇に植えられている。社務所裏には洞窟内に祀られた弁財天、
勝海舟が断食をした井戸、
浦賀の歴史が今ここに。海の市道となっている渡船乗り場へ、
船着き場の前には佐久間象山や吉田松陰らが来
航する黒船を視察する際に利用した徳田屋旅館あったところ。
渡船に乗船、数分の船旅。西浦賀の近くには西叶神社、
遠くから礼拝。浦賀ドッグ跡を
通り15時浦賀駅着。早歩きでした、反省。お疲れさまでした。
| 集合時間30分前駅は閑散としていました |
| 本日は秋晴れが望めそうです |
| 朝一の急登は辛かったです |
| 荒れた道は途中で通行止め、残念、 |
| 少し迷って本日最初の史跡淨林寺馬頭観音 |
| 馬頭観音大切に保存されてます |
| レンガ造が史跡を伺わせる |
| 隧道跡のトンネルを現在も使用 |
| 心地良い海風に癒されて |
| 速水水源地公園ここから海べり歩きです |
| 公園の起源に納得 |
| 至るところに史跡の案内板があります |
| 東京湾を背景に |
| 走水神社にて |
| 時代を感じる狛犬、 地震が発生したら離れてくださいとの注意書き |
| 観音崎灯台、 スカイツリーや房総半島伊豆大島まで見えた~ |
| 観音崎の地層は一見の価値ありです |
| 灯台展望デッキで |
| 観音崎の地層(茶褐色の砂岩と黒い凝灰岩の堆積) |
| 砲台に至るトンネルきて |
| 説明にも熱が入ります |
| 海が輝いています |
| 大戦に駆り出された船員を悼んで建造された像にて |
| ゴジラもここから上陸した |
| ゴジラの足型に腰掛けて |
| 叶神社対岸にもあります |
| 浦賀の渡し舟 |
| 秋うらら⁇ |
| 束の間ですが和みます |
| 浦賀駅までの歩み、結構の距離です |
| ゴ~ㇽ、浦賀駅到着 |